ドラッグ統制の始まりについて⑤(日本と覚醒剤)
皆様こんばんは。
以前より「麻薬(ドラッグ)」という古来より人類の身近に存在していた植物がどのように使用を統制され禁止されていくのかをお伝えしています。
なぜこのような事をお伝えしていくのかというと、私がソーシャルワーカー(社会福祉士、精神保健福祉士)だからです。
ソーシャルワークとは、社会正義や人権を基本とし、社会で生きる人々が自律(自立)した生活を歩む事ができるように社会変革や社会開発を行う事です。
その一環として、差別や偏見を社会からなるべくなくしていく事で暮らしやすい社会が形成されて行ってほしいという専門職としての望みがあります。
かねてより、マスメディアで報道される麻薬事犯について、偏見や差別に基づく非常に有害な問題と感じておりました。(末端の使用者について)
ですが、我が国の司法は変わらないでしょう。
それなのであれば、私達の考え方を変えていけばいいのだと思い、ドラッグ統制がもともとその使用については問題視していなかったが、移民への差別と偏見による社会的排除を目的としてドラッグ統制が行われたという事実を知る事で、現在の司法で裁かれた人々が、自分自身は偏見の目で見られているだけで、罪人ではないと思う事で、その人自身の誇りを失わないで欲しいと思ったのです。
それでは、日本での覚醒剤政策について見ていきます。
覚醒剤取締法は、1951年(昭和26)に参議院で提案され所持や使用が禁止されました。ですが、この時期の国会会議録などでは、今日のように社会で感じられている覚醒剤に対してのイメージとは大きく違うようなのです。
覚醒剤の使用や所持などの統制は、当初は法制にはよらず、厚生省の度重なる指導という形で行われていたのですが、これは覚醒剤が医薬品として回復され流通していた事が原因です。
1948(昭和23)年に制定施行された薬事法ではあくまでも劇薬として指定されています。(アンフェタミン、メタンフェタミン)
また、販売広告の中から(疲労感防止、睡気除去、)などの効能を除くことが指示されています。(タバコの箱にも書いてありますね)
しかし、同年11月の参議院本会議において「ヒロポン問題に関する緊急質問の件」として、「製造をしないように、製造を手控えるように言っておりますが、勤労大衆及び資本家はこれがために非常に苦しんでおられる」と問題提起され、製造中止などの措置が適切ではなく、問題は一部の悪用にあるのであって、覚醒剤そのものにはあるのではない事が述べられています。(参議院1949b)
この質問からもわかるように、1950年の時点では覚醒剤の使用についてこんにち程の重大性は感じられないということである。
その他にも、覚醒剤取締法制定過程の議論の際にも参議院議員から、警察予備隊(後の自衛隊)がしようする予定であるから、全面禁止ではなく使用制限にした方がいいのではとの提案がありました。(参議院1951a b)
では結果どの様な経緯で覚醒剤が禁止される事になるのかというと、この時代に多かった浮浪児や青年に覚醒剤をあたえる密造や密売が問題視されたからです。
この問題については、たんに浮浪児が使用する事が問題なのではなくて、大人達が覚醒剤を浮浪児に与え盗みを働かせる事が問題視であったからです。
ですので、覚醒剤取締法はもともと使用者の所持や使用を目的としたのではなくて、それを供給する密売者が所持している事が問題だったのです。
密売者が売るために所持しているのを迅速に摘発する事が目的だったのです。
次回は密売者が摘発されることが目的であったのに、なぜ使用者の使用が問題視されるようになっていくのかに触れていきます。
参考 引用文献:佐藤哲彦著「ドラッグ社会学」世界思想社2008年 p167
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