ドラッグ統制の始まりについて⑦(日本と覚醒剤)
皆様こんばんは。10月になり皆様いかがお過ごしですか?
私は、依存実験の一環で全てのSNSを経っています。(YouTubeやLINEも全て)ですので、インターネットに接続する場合は、ブログを書くか、調べものをするか、ビジネスメールの返信をするかに限定されています。
離脱症状なのかどうかはわからないのですが、私は20代後半までヘビースモーカーだったのですが、(ニコチンガムで禁煙しました。自分で)この禁煙した時の離脱症状の眠気と怠さ似た症状がこの数日酷くて、やっと回復してきました。
また、現在はコーヒーを沢山飲みますが、以前にカフェイン断ちをした時も眠気と怠さが酷かったです。
テレビもラジオもSNSもない(プロジェクターとスクリーンでたまに映画は鑑賞します)少しのインターネットと書籍📚だけの生活。(R&BやSoul、ジャズなどの音楽は聴きます。 Wi-Fiも5Gから4Gにしました)退屈に思えるかもしれませんが、長期的に見ると健全でいられます。
先日まで、世界のドラッグ統制が始まった経緯について概観してきました。
本日は日本と覚醒剤のつづきです。
前回は、1950年頃まで問題視されていなかった覚醒剤の使用が何故厳しい取締の対象になったかについて少し触れました。
アメリカの阿片同様に、使用そのものを問題視するのではなく、必ず外部からもたらされた異変(移民など)に関連付けられてその使用が問題視されてきた事がおわかりになると思います。
ですが、この1950年時点では覚醒剤の長期使用における依存性の重大さについて使用が開始されて間もなかったという事と、乱用者が少なかったという事から問題視されていませんでしたが、現代ではアディクションの問題が大きくなっている事から、この時代から統制されていて良かったのではないかと思います。
1950年以降、日本政府の反共産主義的姿勢に反発する反政府デモの展開から、そのデモの資金源が覚醒剤の密造と捉えられるようになり、その密造に関わる集団が朝鮮人であったという事から、日本国民の朝鮮人への敵対心が増強され、マスメディアがその事を報道するようになり、覚醒剤が悪であるという図式が出来上がりました。(覚醒剤使用犯罪者の語りも含めて)
1954年に大規模な覚醒剤撲滅運動が展開されますが、この時に、警視庁覚醒剤対策本部発行の報告書で、共産化した外国人勢力の攻勢を目前にし日本人の純血を守るというナショナリズムをうたう視点が示されています。
この報告書で初めて、覚醒剤密造、密売の7割が外国人であり、その密造された覚醒剤の使用で精神を蝕まれている国民(犯罪をする)の事を「後天性狂暴犯人」と表現し、日本の未来ある青少年がその依存で苦しみ、これにより社会秩序が破壊されると表現され、また、反共産主義を主張する日本への不満から反政府運動が展開され、政府や警察組織がその対応に追われる事の情緒的な反応から、ダメぜったい運動へと発展し、覚醒剤使ったらすぐ廃人、覚醒剤使ったら人生終わる、覚醒剤使ったら人間失格という、
その歴史や薬理作用、個体によってその反応は様々である、と言った薬物使用の状態の詳細を省いた、社会的逸脱者を作り出す運動が開始されて現在に至ります。
参考文献:佐藤哲彦著「ドラッグの社会学」世界思想社2008年
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