ドラッグの国際統制の始まりについて②
皆様こんにちは。9月が終わろうとしていますがいかがお過ごしですか?
本日は先日少し触れましたドラッグの国際統制の始まりのつづきをお伝えしていきます。
①でお伝えしたのですが、アヘン戦争以前はアヘン喫煙によるアディクションについては、我々が重く捉える程の問題意識は世界的に見られていなかったようです。
ですが人間という存在は、「欲望」という諸悪の根源となりうるが、人間たらしめている特徴を時代や状況に応じて変化させるため、賃金格差が生じた労働者間でその行為は逸脱したものと批判されていきます。産業革命以前は「儲け」という概念が現在程の価値を持っていなかったためアディクションが批判の材料とみなされなかったのでしょう。
現代では、国際的な合意によりドラッグの貿易や所持、使用などが厳しく統制されてはいますが、カナダのブリティッシュコロンビア州ではヘロインやコカインなどのドラッグについての一定量の所持や使用については合法化されています。(その他スイスなどでも場所の指定がある医療法の元でのアディクションの方々の使用を認めています)
ドラッグを巡る国際統制の最初の動きは、20世紀初頭に中国で開かれた「上海阿片委員会1909年」が始まりです。
この委員会の趣旨は、当時植民地を保有していた各国に対して、植民地におけるドラッグ貿易規制と、生産量の規制を求める事を目的としたものであり、参加国は、中国、フランス、ドイツ、イギリス、日本、オランダ、ポルトガル、ロシア、タイ、そして自国民のドラッグ使用にによるアディクションに強い懸念を抱いていたアメリカです。
しかしこの時点では、アメリカ以外の国につてはそれらの問題についてあまり関心がなかったようです。
この後1912年1月に国際協定が調印されますが、この時点でも各国の法制化に対する意欲は低かったようです。
その翌年1913年に開催されたオランダのハーグ会議により次第に各国が阿片とコカインの法制化に着目していく事になります。
しかし、ヨーロッパ各国がドラッグの使用を実質的に禁止するのは、以外ですが1960年代以降になります。
1961年の国際協定では71カ国が参加し、ドラッグ廃絶パラダイム(個人が社会が許容する事による麻薬の使用は不可能であり、使用は必然的に常用へと進行しアディクションを形成するため廃絶が必要だという考え)を元に徐々にドラッグ使用の統制を強化させていきます。
先に述べたようにドラッグ統制を主導した国はアメリカなのですが、アメリカは自国でのアディクション人口の増加を懸念していたため、アメリカは統制を強化していきます。
次回はアメリカのドラッグ統制についてその概要を見ていきます。
このように歴史から反省の要素を見つけ、法律でその統制を強化して行くことがドラッグによるアディクション形成を予防する有効的な手段だと考えられていましたが、それは逆に裏社会や地下組織の暗躍の場を提供するという社会問題を作り出すシステムの構築であると言っても過言ではないと私は感じています。
参考文献:佐藤哲彦著「ドラッグの社会学(向精神作用物質をめぐる作法と社会秩序」世界思想社2008年
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