困難事例に学ぶ偏見を無くす事の重要性について。
皆様こんばんは。
私の長期休暇も残り7日となりました。
本日は、ご近所さんにお安いスーパーを教えて頂き、とても楽しいお買い物をして来ました。
困難事例と言う表現が正しいのかどうか(申し訳ない気も)わからないのですが、7月で重度訪問介護の正社員勤務を断念せざるを得なかった事がとても悔やまれました。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)の方々の思いを受け止める程の成長が出来ていなかったのですね。
病気の苦しみはその人にしか分からない。私達は想像する事でなるべく理解しようとはします。また、支えるご家族の思いにも共感力が欠けていたと反省しています。
ですが、その時はそれしか出来なかったのです。
その後日々考えて、どうしたら疾患を治す事が出来るのだろうと考えました。(私は医療職ではないので治療は出来ません)
そして、現代医学が進歩しているとは言っても、医療制度の仕組みにはまだ限界があるため根本的な治療や治癒が難しいという問題点もあります。
そこでソーシャルワーカーとして何が出来るのかな?と考えて、差別や偏見をなくしていく事が出来ると思いました。(ソーシャルワークのグルーバル定義)
偏見は可能性に至る道を閉ざしてしまいます。
そして、私の愛するルドルフ・シュタイナーはこのように述べています。
「本当にとらわれぬ態度で、健全な判断力を働かせるなら、霊学研究の成果はその大部分が直接検証される事のできるものになる。しかしいくらとらわれぬ態度を持とうとしても、人生の至る所に存在するあらゆる種類の偏見にあらかじめ惑わされていたのでは何にもならない。たとえば現代科学の所説に従う人には、到底受け入れられないと思えるような場合がいくらでも出てくる。本当の霊学の立場と矛盾する研究成果は科学の分野においても存在しない。しかし偏見に惑わされている人にとって、科学の研究成果を基準にすれば、超感覚的世界についての記述と特定の科学的認識との間に一致点を見いだす事はできないと信じる事の方が遥かに容易なのである。しかし改めて霊学と真の科学との研究成果をよく比較してみるなら、両者の間に存在する見事なまでの完全な一致がますます認められるようになってくる」
この考えに従い、多くの優秀な方々が偏見を持たずにその一致に気付いた時に、今まで見えて来なかった世界が見えるようになる事で、治療方が無いと言われている疾患の治療方が見つかるかも知れないという希望を持つ事が出来ます。
希望は現実になりますので、私は割と草の根的な活動をしますが、お医者様や研究者の方々に頼りたいなと思っています。
苦しみを抱える人達がその苦しみから解放されるように願いを込めて。
Office assistance
都筑裕子