映画「ハンニバル」レクター博士の潜在意識の具現化についての考察。
皆様こんばんは。
皆様よく耳にされていると思われますが、「潜在意識」
という自分では認識していない心の領域があると言われています。これとは逆の意識として「顕在意識」という自分が認識している心状態があります。
何故か意識していないのに願いが叶ったり、嫌な人が周りからいなくなったり、不思議といえば不思議ですが、当たり前にも感じる時があります。
私の大好きな映画「ハンニバル」に登場するレクター博士は、「美意識」を非常に大切にしています。ですので無礼ない人間を殺して食べたり、オーケストラで下手な演奏をして協奏曲を台無しにする人物を殺して食べてしまいます。
ですが、レクター博士は別に好きで人を殺して食べている訳ではなくて、幼少の頃に戦争です食糧がない時に病気になった妹のミーシャが殺して食べられてしまうのです。
そのトラウマから「カニバリズム」を嗜好し行います。
「羊達の沈黙」ではFBI捜査官のクラリスが抱える事件の手助けを行い逃亡します。
間にレッドドラゴンやハンニバルライジングも挟むのですが、続編があるのは「ハンニバル」だけです。
FBI捜査官のクラリスは倫理、秩序、道徳を重んじ、腐敗したFBI組織の中でも組織に忠誠を誓い、腐敗した権力構造の中では異質の存在となっています。(とても優秀ですが)レクター博士はクラリスのこの部分を非常に価値のあるものとして尊重しています。
ですので、クラリスが汚名を着せられて停職処分にある時に、姿を見せずに近づきまた彼女を助けるのです。
また、クラリスに深い愛情を持っているのですが、それは幼く病気のミーシャが殺して食べられるという恐ろしい出来事を経験して亡くなった姿を重ねているからです。とても勇敢だったから。
映画の結末なのでここでは全て述べませんが、レクター博士は非常に知能が高い為、司法に囚われるようなミスは起こしません。
彼が捕まるのは。間接的な復讐を遂げたいため、鬼ごっこの様な遊びで捕まえてもらい、何らかの復讐がしたいのでそれを繰り返すのです。
小説と映画では結末が違うのですが、映画では最終的に間接的にですがある人物をミーシャに置き換えて復讐を遂げます。
小説では、もう2度と「カニバリズム」が生じない状態になります。(詳細は省きます)
レクター博士が何故あんなにも知能が高いのかというと、彼には「恐れ」という感情が一切ないからです。
「不安や恐れが理解を妨げる」のです。
現代社会は日々恐れや不安が大量生産されていきます。
ですので私はテレビを家に置かずSNSも一切しないのです。とても価値のある情報は先人達が残した書物の中にあります。
人類の思考やその他肉体の神秘については殆ど解明されていません。(科学や医学では仮設を断言として説明しているだけです)
ですので、心に深い傷を負うと人はあらゆる形で結果復讐をしてしまうのです。それは意図していなくても。
それが病気の一因だったとしたら?という根拠が不明瞭な私の見解です。(妄想やファンタジーとして認識して頂いて大丈夫です)

仕事の本ばかりでなかなか読めない数少ない小説たちです。笑読めているのもあります。
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都筑裕子