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私が経験した摂食障害③

皆様こんばんは。夕方からやっと涼しくなり犬のお散歩は羽織物が必要でした。
これから大好きな秋と冬が始まるので少しほっとしています。
皆様はどの季節がご自身の体に合いますか?

前回投稿した②では、摂食障害が始まって2年くらいの間の事を記載しています。
特に大きな変化はなく、主にBNを主体とした病態でした。

その後23歳ですすきのから銀座のクラブへと移ります。それと同時に1度目の結婚もしますが、環境は変わっても症状は変わらずBNのままでした。ですが、日に3、4回過食嘔吐する事はなく、1、2回に減ってはいて、たまに普通に食事をして嘔吐しない時もありました。

今もそうなのですが、私の体質的に午前中とお昼でコーヒーを飲む以外全く食欲がないのです。夕方近くなり少し食欲がでますのでそこでパスタを茹でて少し食べる。

ホステスなので夜は同伴がなければ20時に出勤しアフターがなければ0時で終了です。お酒も飲んでいて体に負担がかかっている事に加えて、接客は物凄く気を使います。(背もたれによしかかってはいけない、喫煙不可、接待が多いので失言ができない、お酒を作るタイミング、グラスの水滴を拭き取る、灰皿はタバコ1本か2本で交換、同伴ノルマのプレッシャー、アフター掛け持ちなど)すすきのとは仕事が全然違いいつも強い緊張がありました。

ですので、接客が終わるとストレスで物凄い過食衝動があり、帰宅まで持たないのではないかと思う事もありました。(アフターやママ達と食事に行くと過食嘔吐でした)

ですので、ホステスというお仕事自体が私に向いていなかったのです。(アルコールもアドレナル・ファティーグを引き起こします)
ワインやシャンパンを飲んで開けなければ売り上げにならない、ボトルも開けなければならないので、1、2回急性アルコール中毒で救急搬送されて気が付いたら聖路加病院で点滴を打ってもらっていた事もありました。

そのような中で結婚は1年で離婚、28歳の時に、ホステスとして先が見えないと感じた事と心身が疲弊していて1人で生活が継続出来ないと感じて、北海道に帰り母親の元で静養を始めるのですが、

母親との折り合いはよくないため更に過食嘔吐が悪化して日に7回程になります。もう嘔吐反射もなくなり、大量に食べても吐けない時があり本気でお腹を切って取り出そうと思った事もありました。(恐ろしいですね)ですが、それは出来ないためそのまま。

そうしているうちにパニック発作が起きて自分で運転もする事が出来なくなり、母親頼んで通院先の病院に行き入院してする事になります。
閉鎖病棟に3ヶ月でした。下剤も制限され、食事も少量になり吐ける程の量が出て来ませんので、過食嘔吐は強制修了しましたが、外出して下剤を購入して下着の中に隠して持ち物検査に引っかからないようにしていたので、どうにか下剤で多少の体重のコントロールはしていて増加は防げていた記憶があります。

処方された向精神薬のエビリファイとリスパダールが合わなくて合わなくて困った記憶があります。

ですが、先日のブログにも記述しましたが、攻撃してくる人が全くいなくて他の患者さんも優しい方ばかりだったので、いつもみんなで仲良く過ごして楽しかった記憶があります。

この入院で、ストレスがなくなれば過食衝動があまり生じないという事は何となく学び母の元に戻り再度静養し一人暮らしを始めて、ゼロから福祉の仕事に就きます。

ホステスの仕事とは違い派手さはありませんでしたが、高齢者の方々が優しく、仕事をしているだけで「ありがとう」と仰ってくださる事で、少しずつ自分に自信がつき過食衝動が減って行きました。

ですので、もうこの時は正社員勤務に影響しない程度にまで過食衝動をコントロールできるようにはなっていましたが、もともと自律神経失調症であったので、BZP(ベンゾジアゼピン 中枢神経抑制)を睡眠前に使用しながら、

勤務中の過食衝動を抑えるためにルボックス(ssri 抗うつ薬)を使用して副作用の食欲抑制を利用していました。

ここまでが大体33歳くらいまでの経過になります。

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都筑裕子

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